midとヒスンの創作記録
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今日はこれから出かけるのであまり時間がないのですが、
なんとなく、今、更新したくなって。
昨日の夜、2004年2月から飛び飛びで書き連ねてきた分厚い日記帳が
とうとう終わりました。(最後のページに至ったという意味です)
これからまた、新しいノート。
続きを。
・・
2010年1月6日(水)
世界遺産のペチェールスカ大修道院へ。
トロリーバスと、メトロを乗り継いで向かった。
メトロのエスカレーターは日本の2倍速くらいで動いている。
足早で大股な人たち。
普段、早足だといわれる私もついていくのに少し
焦ってしまう。
メトロのドアは閉まるのも速い。
ガツン!と勢いよく閉まる。
おそらく、駆け込み乗車は想定されていない。
たぶんその必要もないんやろう。
ここでも東洋人は目立つ。
小さな女二人組に注がれる視線!
隣に立った男女のカップルが私を注意深く、珍しげに見ては
何かささやいていた。
ウクライナのカップルは親密な雰囲気がする。
熱い抱擁やキスなんてわかりやすいものでは表現されない、
もっと濃い空気。
きっと、お互いにしか理解しえない秘密や、嘘や、本音や
そんなのがあるんやろう。
寒くて娯楽の少ないこの国では、たくさん話をするのかもしれない。
二人だけの会話。
こっちのカップルには、そんな目に見えない”二人だけ”の空気を感じる。
それは温かくて、見ていて安心する何かだ。
たとえばもし、私がここに住んだなら、ということを考えてみる。
私もあの親密さを共有できる人と出会えるだろうか、とか。
背の高い男の人、背の低い私。
出会えたなら、きっとそれは素敵なことなんやろう。
(続く)
修道院の近くの風景
[0回]
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旅先で書き綴った言葉は、もともと誰かに見せることを
意図して書いていないからか、時に、恥ずかしいほどに直球で、
ここに転載するのを躊躇してしまいます。
でも、始めちゃったので続けますが・・・。
いや、でも、恥ずかしいなー。
やっぱやめよっかなぁ。(ブツブツ・・・)
続けます。
・・
2010年1月5日(火)
ホテルの外は氷点下。
一面の雪景色に、歩き出すのを少し躊躇する。
思わずタクシーに声を掛けたら、ありえない高額料金を提示され、
断って歩き出す。
徐々に寒さにも慣れてきた。
ウラジーミル聖堂はすごく神秘的な空間。
空気がとにかく澄んでいる。
イコンにうやうやしく近づき、そこにキスをする人びと。
イコンはそこにやってくるすべての者に、等しく優しい眼差しを向ける。
その表情をじっと見つめていると、ふいに誰かを思い出しそうになり・・・
でも、その誰かは結局わからない。
ウラジーミル聖堂をあとにし、黄金の門、そして聖ソフィア大聖堂へ。
ソフィア大聖堂はパワーに満ち溢れた場所。
不思議な力を感じた。
光が何百年の歴史を照らしている。
黄金色の装飾は、まるで、後日、ライトを浴びることを
わかっていたかのように
自然で、それでいて堂々としている。
"偶然はすべて必然である"
ふいに頭に浮かんだ言葉。
続けて、
"カルヴァンの予定説"
どんな内容だったかは思い出せないけど、ふいに。
人間の力の及ばないところから導き出される数奇な力、"信仰"。
その力の大きさみたいなのを体に感じたのは確かだ。
タタール料理を食べ、黄金ドームを見たあと、
地下街のショッピングモールへ。
NIKE、ZARA、BENETTON・・・
欧米のものが相当に進出している。
幅の広い歩道、車道、建物・・・
陽の落ちた暗い街を照らすオレンジ色の光。
すべてがなぜか懐かしく、遠い昔の記憶を呼び覚ますかのような。
私は昔、ここに住んでいたのかな。
そんなことを思ってみたりする。
(続く)
ウラジーミル聖堂
聖ソフィア大聖堂
オレンジ色の街
※イコン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3
[0回]
さっき、長年使ってきたiPod nanoがぶっ壊れました。
あろうことか、水没。
まぁ、今日がお別れの日だったということですね。
今までありがとう!nano!
と、そんな今日。
私は髪をばさっと切りまして、近年では珍しいくらい短くなりました。
去年の夏はロングヘアだったのが、冬にはセミロングになり、
この春にボブになり、この度、とうとう、ショートボブに。
「いやぁ、どんどん短くなりますねぇ」と、美容師さん。
なんだか心機一転な今日このごろです。
(nanoもぶっ壊れたことやしね!笑)
旅のことば。ウクライナ編です。
・・
2010年1月4日(月)
関空を出たのが正午。
それからひたすら飛行。
フィンエアーは快適。
番組も充実してるし、機内食もおいしい。
先進国の飛行機。
サイモン&ガーファンクルの曲をたくさん聴いた。
フィンランドのヘルシンキ着。
何時間くらい乗ってたのかな。
午後10時ごろに着いたから、約10時間か。
ここからウクライナ航空に乗り換えて、キエフへ向かう。
なんか・・気配が一気に変わる。
フィンランドまでとは全然違う。
アジア人に向けられる視線、視線、視線!!
若い女二人組やからか、飛行中も、キエフに着いた後も
ものすごく見られる。
少し居心地が悪い。
パスコントロールへ着くと、窓口の男の人が怪訝な顔で
「Ticket!」と言う。
一瞬、意味がわからず茫然としていると、
「Ticket! Ticket!!」と大声で催促される。
慌てて、というか、びっくりしてチケットを取り出す。
窓口の男の人はしばらくチケットを凝視した後、窓口から離れ、
どこかへと消えた。
私のパスポートもチケットもその人の手の中。
(何、何??)と、不安がよぎる。
しばらくして、男の人が戻ってきた。
そして、私にパスポートを突き返し、
作り笑いと低い声で、「Welcome」と。
VISAもあってバウチャーもあるのに、あの反応。
なんだろう。
不法滞在とか密入国とか、もしくは犯罪組織の一員だとか思われたのかな。
国と国との入口で、私という人間を規定するものは
どの国に属しているか、ただそれだけだ。
個人よりも、"国"。
属している、"国"。
なんだろう、これは。
いつまでこんなのが続くんやろう。
心細くなり、ふいに家族のことを思い出す。
みんな、無事かな。
キエフで強く、このことを思う。
そして、自分自身の存在についても。
突きつけられる。
考えさせられる。
(続く)
・・上の文章とテンションが全然違って、なんかあれなんですが、
フィンエアーで前に座ってた人。
10時間、ずっとカゴかぶったまんまで、隣にいた彼女がすんごい嫌がってた。笑
[0回]
こんばんは。
お元気ですか。
私はというと、今週の頭から昨日の夜まで被災地へ行ってました。
仙台から入り、津波で壊滅的被害を受けた女川町、南三陸町、
気仙沼市と回り、帰りは岩手の花巻空港から大阪に帰ってきました。
深夜1時半に寝て、起床は5時。
バックパッカー姿で動き回り、
時にはハイエースの運転を任され、時速100キロで東北自動車道を
駆け抜けたりもしました。
ちょっと普通のボランティアとは違う動きで、かなり強行なスケジュールだったのですが
すごくいろんな学びがあり、行けて本当に良かったと思います。
(行けて良かっただなんて、まったくエゴな発想ですが、でも本当にそう思ったので。)
焼け野が原のような街を歩きながら、いろんなことを考え、感じました。
以下、被災地を訪れた初日の夜に書き記した文です。
良かったら。
・・
被災地を訪れるというのはすごく胸の痛むことだった。
覚悟はしていたけれど、しんどい。
がれきと、異臭と。
何もかも打ち砕かれたあの場所には
無数の人が死んで横たわっていたんだ。
歩きながら、その想像が容易にできてしまう。
私はその人たちのことを知らない。
でも、そこにあったであろう、"生きたい"という思いを
私は感じなければいけない。
そうじゃないと、そこを歩く意味はないと思った。
たとえば、死にたい死にたいと思っていた人がいたとして、
あの大きな波が襲ってきたとき、何を思っただろうかと考えてみる。
やっぱり、生きたいって思ったんじゃないのかな。
仮にそうだとしたら、
死に向かう絶望から、生への希望へと意識が向かったその瞬間、
せっかく芽生えた、そのわずかな希望を一瞬で奪い去られたんだ。
無残な姿でがれきに突き刺さったサックスを見つけた。
逆さまになって突き刺さっていた。
きっと、誰かが津波の来る直前まで吹いていたんやろう。
吹奏楽部の中学生が練習をしていたのかな。
それとも、趣味を楽しんでいたおじいさんのものかも。
いくら思いを馳せてみてもわからないし、
私はその人のことを知らない。
でも、一つ確かなことは、
波が来る前はきっと、そこにたくさんの喜びや希望があったということだ。
でも、今はがれきだけ。
そして言葉にならない悲しみだけだ。あるのは。
・・
これも一応、「旅のことば」になるのかな。
ちょっとこのブログの本筋とは違うかもしれないけど、載せちゃいました。
上の文にもあるとおり、滞在期間中、色々考えてたら落ち込んできて、
あんまり眠れなかったりもしたのですが、
でも、そんな中、希望を感じる出来事もありました。
気仙沼の保育所を訪れたときのことなんですが、
子どもたちが地震のときのことを話してくれたんです。
「怖かったよー」とか、「泣いちゃった」とか。
でも、そうやって話しながら、子どもたち、一生懸命、ごはんを口に運んでたんですね。
その姿を見たとき、私、うまく言えないのですが、
なんかすごくジーンとして。
怖い思いをしたけど、でも、生きてるよ!って
まるでそんな意思表示みたいに見えて。
人間は自然の前で無力だけど、でも、たくましい。
そう思いました。
自分がうんと励まされた瞬間でした。
これからも微力ながら、できることをやっていこうと思います。
ちょっと長くなっちゃいました。
読んでくださったみなさん、ありがとうございます☆
とりあえず、この辺で。
さかさまになって突き刺さった
サックス
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こんばんは。
ご存知の方もいらっしゃるかもなのですが、
私、実はこの二人展ブログとは別にブログを持ってまして。
そっちのブログを読んでくれてる方でこっちも見てくれてる人、
どれくらいいるのかなぁなんてふと思ったりしました。
一応、このブログは創作記録ということなので、
書き物の話を。
私は旅が好きでよくぶらっと出かけるんですね。
荷物は最小限で、あんまり目的もはっきり決めずに出かけるんですが、
その中でも北海道がすごく好きで。
今日はそんな旅の記録を。
おととしの冬、同居人の谷川さんと一緒に、
オホーツク海の流氷を見に、北海道・知床を旅した際に
ノートに書き記した言葉です。
・・
北海道の大地はひたすらに広くて、
どこまでも続いていて
湖は凍って、太陽の光にキラキラしていた。
宿に着いたら部屋まで案内してくれたおじさんが、
「昨日の突風で海の氷の多くは50㎞沖まで流れていってしまった」と
話してくれた。
谷川さんはすごくがっかりしていたけれど、
自分的には、「屋根が風ではがれてしまってね。
この付近の家も3件ほど、屋根が吹き飛んだんですよ」という言葉の方が
衝撃的だった。
そんな厳しい自然の中で生きる人々がいる。
屋根が吹き飛ぶほどの突風や嵐を目の当りにしなかっただけでも
不幸中の幸いというものだろう。
知床の人たちは自然に生かされているんだ。
観光業に従事する人たち、
オホーツクの漁業に出る人たち、
流氷ダイビングのインストラクターのお姉さん・・・
皆、大自然に感謝して生きている。
そしてその恐ろしさも知っている。
どの人も優しかった。
人に優しくできるのは、自分が自然に生かされている、
大事な尊い命であることを日々実感しているからだろうか。
その儚さや哀しさを知っているからだろうか。
都会に住んでいると、自分が大きな地球の
大地に生かされていることをつい忘れてしまう。
東京のジブリ美術館でレジの前に並んだ人たちが
自分の番が回ってこないと言って腹を立てていた。
美術館のすぐそばには井の頭公園があって、
自然が無いわけじゃないのに
人の気持ちはすごくせかせかしていた。
大都会東京の井の頭公園では、
自然のありがたさや、自分が地球に生かされた生命体で
あることにまでは気づけないのかも。
もしくは、思い出せないのかも。
北海道に行くと、自分の足が、存在が、
大地につながっていることを感じられる。
地平線も、水平線も、空も、自分も、一体であるように思える。
今起こっていることや悩みは本当に小さなことで
こんなことにしか目を向けられない昨日までの自分が
まるで別人に思えた。
北海道、知床の旅は大事な旅になった。
・・
次はウクライナ旅行のときに記した言葉を載せる(かも)です。
てか、midは元気なのだろうか。笑
*オマケ
YEN TOWN BAND/Swallowtail Butterfly ~あいのうた~
http://www.youtube.com/watch?v=zL9GzM7dQi4
今、なんとなく聴きたくなって。
「ここからどこへ行っても世界は夜を乗り越えていく」という歌詞に
癒され、励まされます。
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