こんばんは。
お元気ですか。
私はというと、今週の頭から昨日の夜まで被災地へ行ってました。
仙台から入り、津波で壊滅的被害を受けた女川町、南三陸町、
気仙沼市と回り、帰りは岩手の花巻空港から大阪に帰ってきました。
深夜1時半に寝て、起床は5時。
バックパッカー姿で動き回り、
時にはハイエースの運転を任され、時速100キロで東北自動車道を
駆け抜けたりもしました。
ちょっと普通のボランティアとは違う動きで、かなり強行なスケジュールだったのですが
すごくいろんな学びがあり、行けて本当に良かったと思います。
(行けて良かっただなんて、まったくエゴな発想ですが、でも本当にそう思ったので。)
焼け野が原のような街を歩きながら、いろんなことを考え、感じました。
以下、被災地を訪れた初日の夜に書き記した文です。
良かったら。
・・
被災地を訪れるというのはすごく胸の痛むことだった。
覚悟はしていたけれど、しんどい。
がれきと、異臭と。
何もかも打ち砕かれたあの場所には
無数の人が死んで横たわっていたんだ。
歩きながら、その想像が容易にできてしまう。
私はその人たちのことを知らない。
でも、そこにあったであろう、"生きたい"という思いを
私は感じなければいけない。
そうじゃないと、そこを歩く意味はないと思った。
たとえば、死にたい死にたいと思っていた人がいたとして、
あの大きな波が襲ってきたとき、何を思っただろうかと考えてみる。
やっぱり、生きたいって思ったんじゃないのかな。
仮にそうだとしたら、
死に向かう絶望から、生への希望へと意識が向かったその瞬間、
せっかく芽生えた、そのわずかな希望を一瞬で奪い去られたんだ。
無残な姿でがれきに突き刺さったサックスを見つけた。
逆さまになって突き刺さっていた。
きっと、誰かが津波の来る直前まで吹いていたんやろう。
吹奏楽部の中学生が練習をしていたのかな。
それとも、趣味を楽しんでいたおじいさんのものかも。
いくら思いを馳せてみてもわからないし、
私はその人のことを知らない。
でも、一つ確かなことは、
波が来る前はきっと、そこにたくさんの喜びや希望があったということだ。
でも、今はがれきだけ。
そして言葉にならない悲しみだけだ。あるのは。
・・
これも一応、「旅のことば」になるのかな。
ちょっとこのブログの本筋とは違うかもしれないけど、載せちゃいました。
上の文にもあるとおり、滞在期間中、色々考えてたら落ち込んできて、
あんまり眠れなかったりもしたのですが、
でも、そんな中、希望を感じる出来事もありました。
気仙沼の保育所を訪れたときのことなんですが、
子どもたちが地震のときのことを話してくれたんです。
「怖かったよー」とか、「泣いちゃった」とか。
でも、そうやって話しながら、子どもたち、一生懸命、ごはんを口に運んでたんですね。
その姿を見たとき、私、うまく言えないのですが、
なんかすごくジーンとして。
怖い思いをしたけど、でも、生きてるよ!って
まるでそんな意思表示みたいに見えて。
人間は自然の前で無力だけど、でも、たくましい。
そう思いました。
自分がうんと励まされた瞬間でした。
これからも微力ながら、できることをやっていこうと思います。
ちょっと長くなっちゃいました。
読んでくださったみなさん、ありがとうございます☆
とりあえず、この辺で。
さかさまになって突き刺さった
サックス
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『思ったことを書き記す』さすがヒスンだね。学びのある日々で何より。
また、ゆっくり話聞かせてください。